ゲームの感想などがメインです。「など」がポイントです。
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『チームバチスタの栄光』終わりましたね。
いや、面白かったと思います。
人物だけ見るなら、『相棒』を明るくしたような雰囲気と言いましょうか。
まず人を信じることから始める純朴なグッチーと、まず人を疑い、ひたすら事実のみを追い求める白鳥さんという対照的な2人は、見ていて実に好感の持てる組み合わせでした。
また、この2人と関わることで変化していき、人間味を帯びていったチームバチスタの面々、そしてそこから明らかになっていくバチスタ手術の実情など、毎回本当に目が離せ
そんなことは今どうでもいい。
何ですかあの最終回は。
肝心要の点におけるツッコミどころがデカすぎて、途中からドラマを観るどころではなくなってしまいましたよ。
まぁ適当に突っ込んでいきながら述べていきましょう。
・垣谷先生が桐生先生以外の人物の目を逸らさせ、ターニケットを必要以上に持ち上げて正常な部位を切らせた
もしかしたら専門用語間違ってるかもしれませんが、ご愛嬌と言うことで。
それはともかく、何故かこれを説明する為に、現在進行しているバチスタ手術のモニター映像と比較して長さの違いを強調させていました。
いやいやいや、垣谷先生がそうしたときの動作がビデオに映ってる筈で、そこを見せれば嫌でも気付くでしょうよ。
散々観たはずなのに、何故今までそんなことに気付かなかったのか。
開胸してターニケットで心臓引っ張りあげて、バチスタ手術が本格的に始まる本当に直前からビデオ回し始めた?
そんなアホな。
しかし実際どこら辺から録り始めてたのかについては説明が無いので、仮にそうだとしておきましょう。
ですがそうなると次の疑問です。
何故手術中に、必要以上に回転した心臓に誰も気が付かなかったのか。
緊急オペにはなりましたが、どこを切るかは事前に決まっていたはずです。
それなのに、回転させた瞬間は誰も見ていなかったとは言え、それから誰もそのことを指摘せずに進行したのはいくらなんでもおかしくないですか?
少なくとも鳴海先生は気が付くと思うのですが。
遅れはしましたが、オペ終了までにはいたんですから。
大体、「桐生先生の目は見えているのか」ならともかく、「桐生先生は鳴海先生無しにオペを完遂できるのか」ということを試すのに、心臓を必要以上に回転させて正常な部位を切らせる必要性が無い気がするんですが。
普通にオペを進めさせて成功するか否か見ればいいじゃないですか。
垣谷先生はわざわざ要らない行為をしただけにしか見えないなぁ。
最後に細かいことで。
白鳥さんはこの推理を「垣谷先生の未必の故意による殺人」と結論付けましたが、これは誤用でしょう。
「未必の故意」とは簡単に言えば、「自分がそうすることによってこういうことになるかもしれない。だけどまぁ、それならそれでいいや。」と言う認識で行為する心理状態です。
白鳥さんの推理通りであれば、垣谷先生は「このまま心筋を切り取らせれば確実に死ぬ」と認識していて止めなかったのですから、完全な「故意」であり、未必の故意と結論付けるのは正しくないはずです。
ですから、正確に述べるならケース27は垣谷先生の故意による殺人ですね。
まぁ未必の故意も故意の一種ですから、結果的には同じなんですけど。
桐生先生も利用されたとは言え、自らの目が見えないに等しいことを認識している上で手術に臨んでいるので、本人に患者を死なせるつもりはないし、死んでも構わないとも思っていないとしても、状況から見て未必の故意による殺人を問われてもおかしくは無い気はします。
まぁ一度は鳴海先生無しでのバチスタ手術にも成功していますし(ケース27以降ですが)、仲間の裏切りまで予測可能性に含めるのは酷だと思うのでそれは重すぎるにしても、業務上過失致死程度にはなるのではないでしょうか。
劇中では結局、垣谷先生は証拠不十分により不起訴処分、桐生先生はお咎め無しでしたけど。
原作では麻酔科医の氷室先生が犯人というところまでで、そこから先はテレビオリジナルだったそうですが、原作通りのまま終わらせておけば良かったような気はします。
フジのドラマって、キャラクター同士の掛け合いは面白いんですが、ストーリー本筋はどうも今ひとつという印象が拭えません。
あくまで私の個人的意見ですけど。
いや、面白かったと思います。
人物だけ見るなら、『相棒』を明るくしたような雰囲気と言いましょうか。
まず人を信じることから始める純朴なグッチーと、まず人を疑い、ひたすら事実のみを追い求める白鳥さんという対照的な2人は、見ていて実に好感の持てる組み合わせでした。
また、この2人と関わることで変化していき、人間味を帯びていったチームバチスタの面々、そしてそこから明らかになっていくバチスタ手術の実情など、毎回本当に目が離せ
そんなことは今どうでもいい。
何ですかあの最終回は。
肝心要の点におけるツッコミどころがデカすぎて、途中からドラマを観るどころではなくなってしまいましたよ。
まぁ適当に突っ込んでいきながら述べていきましょう。
・垣谷先生が桐生先生以外の人物の目を逸らさせ、ターニケットを必要以上に持ち上げて正常な部位を切らせた
もしかしたら専門用語間違ってるかもしれませんが、ご愛嬌と言うことで。
それはともかく、何故かこれを説明する為に、現在進行しているバチスタ手術のモニター映像と比較して長さの違いを強調させていました。
いやいやいや、垣谷先生がそうしたときの動作がビデオに映ってる筈で、そこを見せれば嫌でも気付くでしょうよ。
散々観たはずなのに、何故今までそんなことに気付かなかったのか。
開胸してターニケットで心臓引っ張りあげて、バチスタ手術が本格的に始まる本当に直前からビデオ回し始めた?
そんなアホな。
しかし実際どこら辺から録り始めてたのかについては説明が無いので、仮にそうだとしておきましょう。
ですがそうなると次の疑問です。
何故手術中に、必要以上に回転した心臓に誰も気が付かなかったのか。
緊急オペにはなりましたが、どこを切るかは事前に決まっていたはずです。
それなのに、回転させた瞬間は誰も見ていなかったとは言え、それから誰もそのことを指摘せずに進行したのはいくらなんでもおかしくないですか?
少なくとも鳴海先生は気が付くと思うのですが。
遅れはしましたが、オペ終了までにはいたんですから。
大体、「桐生先生の目は見えているのか」ならともかく、「桐生先生は鳴海先生無しにオペを完遂できるのか」ということを試すのに、心臓を必要以上に回転させて正常な部位を切らせる必要性が無い気がするんですが。
普通にオペを進めさせて成功するか否か見ればいいじゃないですか。
垣谷先生はわざわざ要らない行為をしただけにしか見えないなぁ。
最後に細かいことで。
白鳥さんはこの推理を「垣谷先生の未必の故意による殺人」と結論付けましたが、これは誤用でしょう。
「未必の故意」とは簡単に言えば、「自分がそうすることによってこういうことになるかもしれない。だけどまぁ、それならそれでいいや。」と言う認識で行為する心理状態です。
白鳥さんの推理通りであれば、垣谷先生は「このまま心筋を切り取らせれば確実に死ぬ」と認識していて止めなかったのですから、完全な「故意」であり、未必の故意と結論付けるのは正しくないはずです。
ですから、正確に述べるならケース27は垣谷先生の故意による殺人ですね。
まぁ未必の故意も故意の一種ですから、結果的には同じなんですけど。
桐生先生も利用されたとは言え、自らの目が見えないに等しいことを認識している上で手術に臨んでいるので、本人に患者を死なせるつもりはないし、死んでも構わないとも思っていないとしても、状況から見て未必の故意による殺人を問われてもおかしくは無い気はします。
まぁ一度は鳴海先生無しでのバチスタ手術にも成功していますし(ケース27以降ですが)、仲間の裏切りまで予測可能性に含めるのは酷だと思うのでそれは重すぎるにしても、業務上過失致死程度にはなるのではないでしょうか。
劇中では結局、垣谷先生は証拠不十分により不起訴処分、桐生先生はお咎め無しでしたけど。
原作では麻酔科医の氷室先生が犯人というところまでで、そこから先はテレビオリジナルだったそうですが、原作通りのまま終わらせておけば良かったような気はします。
フジのドラマって、キャラクター同士の掛け合いは面白いんですが、ストーリー本筋はどうも今ひとつという印象が拭えません。
あくまで私の個人的意見ですけど。
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