ゲームの感想などがメインです。「など」がポイントです。
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自由度が高いゲームはつまらない
(ニュー速クオリティ)
私はこのスレの>>78と全く持って同意見、というか常日頃から持っていた意見をズバッと言語化してくれたという感じです。
以前、『ワンダと巨像』のスレで「ゲームの自由度」について結構な議論を交わしたことがあります。
そこでは大勢が『ワンダと巨像』を自由度の高いゲームと捉えていて、その自由度の高さが同ソフトの面白さの1つである、と言っていたんですよね。
私が自由度の高いゲームとしてDQを挙げたら、非難轟々になった覚えがあります。
この際はっきり言っておきますが、ワンダが自由度高いとか、ちゃんちゃらおかしいですよ。
あれは単にフィールドを縦横無尽に駆け回れるってだけです。
そりゃそこらへんに実ってる果実は食べられますし、崖があったら落下できますし、鳩に掴まって飛べますし、握力さえあればEDに出てくる空中庭園に行くことだって出来ますよ。
しかし、それらはワンダのゲーム性の本質でしょうか?
違うでしょう。
これらはあくまでオマケです。
『ワンダと巨像』というタイトルが示すとおり、ワンダのゲーム性は巨像との戦闘にあります。
ですが、そこに自由は果たしてあるでしょうか?
弓矢はありますが、それを射っていても全くと言っていいほど体力は減らせない上に、10分の1も減らせないうちに弓矢ではそれ以上削れなくなります。
また、剣を使っても、弱点である紋章部分以外を突くと弓矢と同様になってしまいます。
つまるところ巨像を倒すには、「剣で」「紋章部分を突く」、これ以外に方法は無いのです。
弓矢や剣での無関係部位への突き刺しは、陽動以外の意味を持たないも同然であり、巨像を倒す直接的な手段として使うことは出来ません。
すなわち、巨像を倒す方法はたった一つしかないということです。
また、巨像の紋章部分へと辿り着く方法、これが所謂パズルといえる箇所ですが、その解き方もほぼ画一的であり、各々プレイヤーによって特色が出る部分とはなり得ません。
対してDQの戦闘は、物理攻撃でも、呪文でも、道具を使ってもいいですし、逆に使わなくても構いません。
それ以前の準備段階も含めますと、レベルを目一杯高めても、逆に出来る限り低レベルにしても、その時点での最強装備で行っても、裸に近い状態で行ってもいいと、実に多くの選択肢があります。
選択の幅が広いので、プレイヤーごとの特色もよく現れますね。
同じアクションゲームで挙げろと言うならば、ロックマンとかどうでしょう。
ボス戦こそ弱点武器が設定されているので画一的になりがちですが、道中の進め方はそれぞれ特徴が出るのではないでしょうか。
勘違いされないように言っておきますと、ここで私が言いたいのは『ワンダと巨像』がつまらないということではありません。
ワンダが面白いことの理由に「自由度の高さ」を挙げることが間違いだと言っているのです。
ワンダの面白さは、前述したようにグラフィックが美しいフィールドをアグロとともに駆け回れることももちろんですが、何よりも、巨像を倒すためのパズルを自分で解き明かすことにあるのです。
よって、当然ではありますが、ワンダを最高に楽しめるのは初プレイの1周目ということになります。
人によっては、1周目だけ、と言っても過言ではないかもしれません。
少なくとも、何周もして楽しめるようなゲームでないことだけは確かでしょう。
私などは時たま思い出してやりたくなるので、言ってみれば、忘れた頃にやるゲーム・・・という感じでしょうか。
私は何度も繰り返しプレイして楽しめることが面白いゲームの最低条件とは思っていません。
そんなこと言ったら、サウンドノベルなんかは軒並みつまらないゲームということになりますし。
何周プレイしても楽しめるゲーム、1周目が最高に楽しいゲーム、単に種類が違うだけの話です。
自由度もそうですね。
自由度が高い低いでゲームの面白さは決まらないと私は思います。
私怨も多分に入っていますが、言いたい事言えてすっきりしました。
今回の記事で書いたことの大体は間違っていないと確信していますが、最後の5行に関しては、言ってしまえば「人それぞれ」の一言に尽きるので、正解も不正解もありません。
「ただ、自分はこう思う。」という個人の一意見として捉えてください。
それでは、今日はこの辺で。
(ニュー速クオリティ)
私はこのスレの>>78と全く持って同意見、というか常日頃から持っていた意見をズバッと言語化してくれたという感じです。
以前、『ワンダと巨像』のスレで「ゲームの自由度」について結構な議論を交わしたことがあります。
そこでは大勢が『ワンダと巨像』を自由度の高いゲームと捉えていて、その自由度の高さが同ソフトの面白さの1つである、と言っていたんですよね。
私が自由度の高いゲームとしてDQを挙げたら、非難轟々になった覚えがあります。
この際はっきり言っておきますが、ワンダが自由度高いとか、ちゃんちゃらおかしいですよ。
あれは単にフィールドを縦横無尽に駆け回れるってだけです。
そりゃそこらへんに実ってる果実は食べられますし、崖があったら落下できますし、鳩に掴まって飛べますし、握力さえあればEDに出てくる空中庭園に行くことだって出来ますよ。
しかし、それらはワンダのゲーム性の本質でしょうか?
違うでしょう。
これらはあくまでオマケです。
『ワンダと巨像』というタイトルが示すとおり、ワンダのゲーム性は巨像との戦闘にあります。
ですが、そこに自由は果たしてあるでしょうか?
弓矢はありますが、それを射っていても全くと言っていいほど体力は減らせない上に、10分の1も減らせないうちに弓矢ではそれ以上削れなくなります。
また、剣を使っても、弱点である紋章部分以外を突くと弓矢と同様になってしまいます。
つまるところ巨像を倒すには、「剣で」「紋章部分を突く」、これ以外に方法は無いのです。
弓矢や剣での無関係部位への突き刺しは、陽動以外の意味を持たないも同然であり、巨像を倒す直接的な手段として使うことは出来ません。
すなわち、巨像を倒す方法はたった一つしかないということです。
また、巨像の紋章部分へと辿り着く方法、これが所謂パズルといえる箇所ですが、その解き方もほぼ画一的であり、各々プレイヤーによって特色が出る部分とはなり得ません。
対してDQの戦闘は、物理攻撃でも、呪文でも、道具を使ってもいいですし、逆に使わなくても構いません。
それ以前の準備段階も含めますと、レベルを目一杯高めても、逆に出来る限り低レベルにしても、その時点での最強装備で行っても、裸に近い状態で行ってもいいと、実に多くの選択肢があります。
選択の幅が広いので、プレイヤーごとの特色もよく現れますね。
同じアクションゲームで挙げろと言うならば、ロックマンとかどうでしょう。
ボス戦こそ弱点武器が設定されているので画一的になりがちですが、道中の進め方はそれぞれ特徴が出るのではないでしょうか。
勘違いされないように言っておきますと、ここで私が言いたいのは『ワンダと巨像』がつまらないということではありません。
ワンダが面白いことの理由に「自由度の高さ」を挙げることが間違いだと言っているのです。
ワンダの面白さは、前述したようにグラフィックが美しいフィールドをアグロとともに駆け回れることももちろんですが、何よりも、巨像を倒すためのパズルを自分で解き明かすことにあるのです。
よって、当然ではありますが、ワンダを最高に楽しめるのは初プレイの1周目ということになります。
人によっては、1周目だけ、と言っても過言ではないかもしれません。
少なくとも、何周もして楽しめるようなゲームでないことだけは確かでしょう。
私などは時たま思い出してやりたくなるので、言ってみれば、忘れた頃にやるゲーム・・・という感じでしょうか。
私は何度も繰り返しプレイして楽しめることが面白いゲームの最低条件とは思っていません。
そんなこと言ったら、サウンドノベルなんかは軒並みつまらないゲームということになりますし。
何周プレイしても楽しめるゲーム、1周目が最高に楽しいゲーム、単に種類が違うだけの話です。
自由度もそうですね。
自由度が高い低いでゲームの面白さは決まらないと私は思います。
私怨も多分に入っていますが、言いたい事言えてすっきりしました。
今回の記事で書いたことの大体は間違っていないと確信していますが、最後の5行に関しては、言ってしまえば「人それぞれ」の一言に尽きるので、正解も不正解もありません。
「ただ、自分はこう思う。」という個人の一意見として捉えてください。
それでは、今日はこの辺で。
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